忘れな草 – クルティス作曲

Non ti scordar di me(私を忘れないで)
忘れな草(2)ークルティス作曲
に続きがあります。

フェルッチョ・タリアヴィーニ(Ferruccio Tagliavini、1913年8月14日 – 1995年1月28日)は、イタリアのテノール歌手。

レッジョ・エミリアの生まれ。パルマ音楽院でイタロ・ブランクッチ、フィレンツェでアメデオ・バッシに学ぶ。1938年にフィレンツェ五月音楽祭のベルカント・コンクールで第1位を獲得し、ジャコモ・プッチーニ『ラ・ボエーム』のロドルフォ役でデビューを飾った。1940年にはミラノ・スカラ座、1947年にはメトロポリタン歌劇場に初登場し、1970年に引退するまで世界的に活躍した。1954年には初来日している。

Partirono le rondini
dal mio paese freddo e senza sole
cercando primavere di viole,
nidi d’amore e di felicita.

ツバメ達が去っていく
寒く陽の射さないこの地から
愛と幸せの巣と春の花々を探して

La mia piccola rondine parti
senza lasciarmi un bacio,
senza un addio parti.

私の可愛いツバメは去っていった
別れのキスもなく
さよならの挨拶もなしに

Non ti scordar di me:
la vita mia legata e’ a te.
Io t’amo sempre piu,
nel sogno mio rimani tu.

私を忘れないで
君こそが我が人生
いつまでも愛し続けるよ
夢の中に君はいるから

Non ti scordar di me:
la vita mia legata e’ a te.
C’e sempre un nido
nel mio cor per te,
Non ti scordar di me…

私を忘れないで
君こそが我が人生
愛の巣は心の中に
私を忘れないで


ドイツ娘エリザベート・クリンガー(ザビーネ・ベートマン)はローマに仕事を見つけてやって来た。飛行機の中で彼女が仲良しになったのは、イタリアのテナー歌手モラーニ(フェルッチョ・タリアヴィーニ)の一人息子ディノ坊や(マッシモ・ジュリアーニ)だった。ローマでエリザベートを迎えたのは若い青年技術者ルドルフ(エリッヒ・ヴィン)。エリザベートに彼はすっかりひかれてしまって、古くからの恋人もほうり出して連日ローマを案内してまわった。エリザベートもだんだん彼にひかれて、ついに彼の愛を受入れたのだった。だが二人の幸福な日は短かった。たまたま会ったルドルフの恋人の中傷の言葉に、エリザベートはルドルフと会うこともせず、ドイツへ帰ってしまった。故国で傷心を仕事にまぎらしていた彼女は、そこでモラーニのコンサートを聞いた。そしてディノ坊やと再会した。エリザベートを知った父親のモラーニは、母親のない坊やのためにもと彼女に求婚した。エリザベートの新しい生活が始まった。だが運命の皮肉は、モラーニのローマ公演にエリザートとルドルフを再会させた。ルドルフの言葉に誤解もとけたエリザベートに再びかつての情熱がもえ上り、遂に二人でローマを離れることにまでなった。そしてコンサートで必死に歌うモラーニの前からエリザベートは姿を消してしまった。その夜のアパートで母親を待ちわびるディノ坊やにモラーニは説明の言葉もなく、悲しく子守唄を歌っていた。その時坊やが「ママ!」と叫んだ。二人の愛に引き返して来たエリザベートの姿があった。

ドイツ語で

『Non Ti Scordar Di Me‬‏ 忘れな草』は、イタリアの作曲家クルティスによるイタリア歌曲。


アンドレア・ボチェッリと
アンジェラ・ゲオルギューのデュエットです。
この女声歌手については、
こちら
をご覧ください。
このサイト内のドレッタの美しい夢に登場します。

楽譜があります。
日本語訳詞付きです。

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