KASUMIGAOKA 2016/11/13
Sermon: 「あなたがたの現状をよく考えよ」 “Consider Your Ways!”
Text: Haggai 1:1-15
I. Introduction:
世界中の皆が経験したことを今日の説教の主題として考えて行きたいと思います。それは、失望というトピックです。ハガイはイスラエル人の失望した時に神様のメッセージを宣べ伝えたのです。こういうわけで、ハガイの預言はまさに現代人に適切なメッセージだと思います。
皆さんは、いかがでしょうか。期待外れの時、がっかりした時、どうするでしょうか。私たち一人一人で適切な対策を思いついて自分の落胆した状態を扱うべきでしょう。ある人は、落胆を精神的な問題として扱おうとするかもしれません。他の人は、失望を考えてみると、それは心の内面的、すなわち精神的な問題ではなく、外面的な問題として考える傾向があります。失望はただ自分の心の問題と思わずに、かえって他の人々が起こした問題だと思いがちです。例として、先週のアメリカの大統領選挙を考えてみてください。その選挙の結果は、たいていの人々が全く考えられない期待外れだったので、多くの人々をがっかりさせたでしょう。失望した人々は、どうしたらいいのでしょうか。ある人々は、選挙の結果に反対して、当選大統領を断っているようです。がっかりした者は、自分たちが正しいと固く信じて、「他の人々が間違った」、また「他の人々が悪い」などと言い張って、怒りと憎しみを抱いて終わるかも知れません。法律に従って当選されたのに、トランプ氏が大統領にならないように、反対運動を始めたそうです。「民主主義は失敗した」などとある人々は言うほど、がっかりしているのです。どうしても現状を変革しなければいけないと思っている人が多いでしょう。しかし、変革するための現実的な方法は見つからないでしょう。このように失望した人々は、ハガイ書のメッセージを聞き入った方がいいと思います。(5節)「今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。」がっかりしたでしょう。当選者は大嫌いでしょう。あなたがたの期待はさかさまになったでしょう。あなたがたは全く不満足に思うでしょう。「万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。」このみことばの意味をもっと詳しく考えてみましょう。
II. ハガイの預言: 現状とその変革の方法
ハガイはすっかり期待が外れたイスラエルの民に神様のみことばを宣べ伝えたのです。まず、その民の失望の歴史的な背景を見てみたいと思います。それに、その社会的な現状を考えてみます。それから、ハガイの預言の解き明かしを考えて行きたいと思います。最後に、そのメッセージに対して、イスラエルの民はどのような反応があったかを認めていただきたいのです。
A. 失望の歴史的な背景
それでは、まず、当時のイスラエルの歴史的な経験とその希望を考えてみましょう。ハガイの預言は、いつ宣べ伝えたかが1:1に正確に記されています。それはペルシャ王国の「ダリヨス王の第二年の第六の月の一日に預言者ハガイを通して、...主のことばがあった。」と書いてあります。聖書以外の歴史上の記録を調べて、その日付は紀元前520年8月29日だったということが分かります。当時の18年前にイスラエル人のバビロニア捕囚が終わりました。その時、ペルシャの王クロスは、帰国したいと思ったユダヤ人がだれでも、ユダにあるエルサレムに行って、そこで主なる神様のための宮を再建するように命じられたのです。その時、ダビデ王の子孫であるゼルバベルと大祭司ヨシュアの指導の下で、多くのユダヤ人は、その地方に戻って行きました。そこですぐ祭壇を立てて約70年ぶりに、天の神様、主を礼拝して、いけにえを捧げました。それから、宮も建て始めました。しかし、彼らが宮を立てる途中で、周りの国にあるイスラエルの敵たちが、その宮を再建する活動を聞いて、反対しました。エズラ記4:4にこう書いてあります。「すると、その地の民は、建てさせまいとして、ユダの民の気力を失わせ、彼らを脅した。さらに、議官を買収して彼らに反対させ、この計画を打ちこわそうとした。そのことはペルシャの王クロスの時代からペルシャの王ダリヨスの治世の時まで続いた。」
捕囚から帰って来たユダヤ人は、初めに熱心に力を尽くして神様の神殿を再建しようとしました。それは、クロス王が命令したからではありません。彼らがまだ捕囚にいる間、預言者エゼキエルは、捕囚から自分の地方と自分の所有地に戻ると、神様が新しい平和の契約を結んでくださることを預言したからです。彼らが立てるべき神様の神殿は、彼らと神様との平和の契約の象徴として彼らの中に永遠に立つのです。エゼキエル書37:25—27で神様の約束は次のように記されたのです。「彼らは、わたしがわたしのしもべヤコブに与えた国、あなたがたの先祖が住んだ国に住むようになる。そこには彼らとその子らとその子孫たちとがとこしえに住み、わたしのしもべダビデが永遠に彼らの君主となる。わたしは、彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らとのとこしえの契約となる。わたしは彼らをかばい、彼らをふやし、わたしの聖所を彼らのうちに永遠に置く。わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」その預言された幸せの時代は、ダビデの治世と神様の聖所、すなわちその宮、との関わりがあります。ダビデの子孫は永遠に彼らの君主となることと、神様の宮は彼らのうちに永遠に立つこと: この二つの条件が実現される時を切に待ち望んでいました。しかし、敵たちの抵抗にぶつかって、どうしても進めませんでした。ハガイが立ち上がって、主のみことばを宣べ伝える前に、もう18年頃経ったのに、主なる神様の宮はまだ再建されませんでした。そのユダヤ人はすっかり期待が外れた者でした。ハガイの預言には、こういう歴史上の背景があります。
B. 社会的な現状:ユダヤ人の二つの誤りとその結果
1.イスラエル人の二つの誤り
それでは、こういう事情になったイスラエルの社会に、ハガイは神様のみことばを告げたのです。ハガイ書には三つの預言が記録されていますが、一章には最初の預言だけ書いてあります。この預言の2節から5節まで考えてみましょう。ここで、ハガイの預言は、二つの根本的な間違いを明らかにしています。イスラエル人はこの二つの誤りを犯しているのです。わたしの解釈によれば、5節にあるみことばは、その前の2—4節を指していると思います。「今、万軍の主はこう仰せられる。」とハガイは言いました。これは真の主なる神様のみ告げですから、よく耳を傾けなさい。二節も三節も、同じように、「これは万軍の主のみことばです」と強調するのです。それから5節で、この二つの誤りをよく考えて、認識しなさいと言います。5節の後半に書いてあるへブライ語の表現は「あなたがたの歩んでいる道、即ち、あなたがたの生活のやり方に心を留めなさい。」という意味です。ですから、彼らの失望の原因は、外側の現状の影響ではなく、彼らの「やり方」だと言っています。万軍の主は、ユダヤ人の心の現状を指しておられるという意味です。この民のやり方は、自分の心の現状の中から流れて来るので、期待が外れて、失望した時、まず、自分のやり方に心を留めて、自分の誤りを悔い改めなければなりません。
ハガイ書1:2において第一の誤りが言及されています。「この民は、主の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている。」これは、大きな誤りを指す言葉です。なぜ、主の宮を建てる時がまだ来ないと思ったのでしょうか。それは、確かに、万軍の主のみこころを行なうこと、つまり、神様の栄光をほかの何よりも、優先させていないからです。ですから、ユダヤ人が敵たちの反抗に会うとすぐ、あきらめてしまいました。神様のみこころを行なうために、自分のいのちを掛けようとするユダヤ人はいなかったようです。ペルシャの王の認可がなければ、まことの神様の戒めを守ることが出来ないだろうと思ったようです。それは大きな間違いでした。ともかく、イスラエル人の失敗は、まことの神様の栄光と主権、その圧倒的な御力などをふさわしく認めなかったということです。ペルシャの王クロスは、万軍の主なる神様によって、みこころに従うように動かされて、イスラエル人を捕囚から帰らせたと聖書が言っています。それは、決定的な主権は神様のみ手に持っておられるからです。主なる神様の主権は箴言21:1で次のように描かれています。「王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。」しかし、イスラエル人は聖なる真の神様の主権と栄光の「ビジョン」を失ったようです。それは彼らの一つ目の誤りでした。
イスラエル人の二つ目の誤りは、4節で明らかにされています。「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。」その時代には、普通の家はほとんど石だけで建てられたのです。イスラエルの地方の中に森がなかったので、木材は少なくて高価な建築材料でした。[板張りの家]と訳されたヘブライ語のことばは、多分贅沢な家を描写するでしょう。だから、この言葉は特に総督ゼルバベルや大祭司ヨシュアのやり方を指しているかも知れません。大抵のユダヤ人は、そんな贅沢に暮らすための財産はなかったはずです。自分が安楽に暮らすように、個人の住まいを重んじていたが、神様の住まいと呼ばれた宮は、まだ廃墟のままでした。万軍の主がこの民族の中に住んでおられることを示す神様の宮よりも、自分の贅沢や安楽を優先しているユダヤ人が、自分のやり方を十分反省しなくてはいけないとハガイは警告しました。自己中心の生活様式はイスラエル人の二つ目の誤りでした。
イスラエル人は初めて捕囚から帰って来た時、神様の結んでくださる平和の契約を覚えて、その契約に関わる神様のあらゆる約束を望みながら、自分の国で住み始めたでしょう。しかし、敵たちの抵抗に会った時から、少しずつ神様の栄光とその主権から目を離して、だんだん自分の熱心が冷めてしまいました。そういう風に、イスラエル人の社会の中に住むように約束された神様に基づいた希望を失ったわけです。
2.イスラエル人の誤りの結果
6節でその誤りの結果が明らかにされているのです。「あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけです。」それに、この現状もよく考えるように7節で命じられます。6節を考えてみると、イスラエル人は本当に難しい現状の中に生きていたことが分かります.彼らは、一生懸命に働いても、必要な物質的な物を十分得られなかったのです。食べる物も、飲む物も、着る物も、足りません。生活の経費をどんなに節約しようとしても、収入が足りません。どうしても満足できない生活でした。このような現状になったら、どうしたらいいのでしょうか。7節に、「万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。」と書いてあります。自分の努力とか人間とかペルシャの王ダリヨスにさえ頼る者は、必ず期待が外れてしまうに違いありません。日照りや飢きんを起こす方は、人間ではなく、主なる神様だけです。だから、自分のやり方を十分考えた上で、どうすればいいでしょう。必要な物が何でも足りない現状を、いったいどのように満足した現状に変えることが出来るのでしょうか。8—11節でハガイは、神様の解決策を説明しています。大抵の人が全然期待しない解決です。8節に、「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。主は仰せられる。」と書いてあります。すなわち、最初の目的を再び取り上げて、神様の神殿を再建すべきであると言っています。神様が人々に求めておられるのは、神様を中心とした生活様式です。自己中心とした生活ではなく、神様に頼り、神様に喜ばれる生活です。神様が求めておられるのは、一人一人が自分の個人的な利益を追求することではなく、かえって、多くの人々が一つの民となって、ともに神様の宮を建てて、ともに神様の栄光を現すことです。だれも、一人だけで神様の宮を建てることが出来ません。その宮を建てることは、信者たちの共同体としての働きです。神様の栄光を現すためにその仕事を完成するように求める人々は、祝福され、すべての必要な物を豊かに与えられるように聖書が約束します。先にこの解決策は期待しないだろうと言いました。それはなぜかといえば、だれでも自分の努力によって自分を満足させなければならないと思っても、そうではありません。神様によって造られた人間は、神様に満足させていただけなければ、自分の人生に不満であり、失望した心で終わるでしょう。神様を自分の生活と社会の生活の中から取り除くと思う者は、結局、生活に満足することはありえないのです。9節で言っているように、「あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。」神様を認めたくない、また、仕えたくない社会は、このように終わります。期待が外れて、落胆した現状になると聖書が警告します。しばらくの間、神様を拒む人やその社会は、成功するように見えるかもしれません。しかし、9節の後半に書いてあるように、「あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。――万軍の主の御告げ――それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたはみな、自分の家のために走り回っていたからです。」神様は、神様を無視する民を、満足させてくださいません。
自然界の現状もよく考えるべきです。自然界も、ただ当たり前のことと思ってはいけません。自然界を造って、支えておられる神様が、それを支配しておられます。神様を社会の生活から除きたいと思う者は、自然界にによるあらゆる賜物を失ってしまうと10—11節に書いてあります。「それゆえ、天はあなたがたのために露を降らすことをやめ、地は産物を差し止めた。わたしはまた、地にも、山々にも、穀物にも、新しいぶどう酒にも、油にも、地がはやす物にも、人にも、家畜にも、手によるすべての勤労の実にも、ひでりを呼び寄せた。」自然界を支配する方は神様なのです。ですから、失望した時、自分の現状をよく考え上で、神様の主権を認めて、神様の栄光をますます現すように励みましょう。
3.イスラエルの落胆のただ一つの解決
イスラエルが落胆の状態が回復するために、ただ一つの療法が支持されます。以前の希望を回復するために、イスラエルは主なる神様に仕えて、自分より神様の栄光を現すように努力しなければなりません。まず神様を恐れながら、その御国の栄光を求めるべきです。だからこそ、神様の宮を建てなければなりません。主イエスが言われたように、「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(Matt. 6:33)
ユダの総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアを始め、民のすべての残りの者は、この預言と警告を聞き入れて、主の前で恐れて、そして主に従いました。そこで、ハガイはこの励ましのことばを宣べたのです。「わたしは、あなたがたとともにいる。――主の御告げ―—」すると、その民とその指導者たちの心は、奮い立たせられたので、皆は喜んで、「彼らの神、主の宮に行って、仕事に取りかかった。」と言うふうに書いてあります。
III. CONCLUSION
終わりに、ハガイの預言に基づいた三つのポイントをまとめて、心に納めていただきたいと思います。まず、第一に、期待が外れて、がっかりした時、神様のすばらしい契約の約束を思い出して、その祝福を切に求めてください。神様の祝福によって私たちの不満が喜びと満足に変えることが出来るからです。人生の最もすばらしい祝福は努力によって獲得できるものではなく、神様が恵みにとって与えてくださるものです。
第二に、この預言はハガイを通して、ユダヤ人の指導者に初めに与えられました。国の指導者たちは本当に大切な使命を果たすように召されているのです。だから、総理大臣や大統領やほかの支配者たちを覚えて、その使命をよく果たせるように祈りましょう。彼らが、神様のみことばを聞き、その決定が神様に導かれますように祈りましょう。政治的な指導者のためにも、教会の指導者のためにも切に祈りましょう。そして、選挙の結果でがっかりした時、どのような指導者が当選されても、神様がその人の心を治めて、返ることがお出来になることを覚えていてください。どんなに欠けた人であっても、神様がご自分の目的を果たすために、その指導者を用いられることを忘れてはいけません。
第三に、失望した時、自分の現状、特に自分のやり方をよく考えましょう。あなたの生活のやり方は神様にもっと近くに導くでしょうか。それとも、神様を離れるように導かれるのでしょうか。神様は失望した時も用いて、私たちが正しい道に迷ったら、神様の道に導いてくださいます。注意深くあなたの現状を見て、よく考えてください。失望した時、神様のみことばに耳を傾けてください。教会の兄弟姉妹とともに、万軍の主の御助けとその御恵みに頼りながら、主の教会を建てる仕事に取りかかって、主のご栄光を現そうとしましょう。お祈りいたします。