神様の驚くべき御恵み

KASUMIGAOKA    2016/12/18

Sermon: 「神様の驚くべき御恵み」 “God’s Amazing Grace”

Text: Luke 1:26-45; 2:1-7

I. Introduction: マリヤが受けた神様の御恵み

神様の御使いガブリエルはナザレという町に遣わされて、マリヤのところに来て、彼女に言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」マリヤはこのことばに、ひどく戸惑って、「これはいったい何のあいさつかと考え込んだ」と29 節に書いてあります。そると、御使いはまたマリヤに話しかけて、言いました。「こわがることはない。マリヤ。あなたは、神から恵みを受けたのです。」面白いことですが、マリヤは、神様の御使いが突然、自分の家の中で現れたことよりも、その御使いの言ったことばで驚いたようです。その挨拶を聞くと、彼女は戸惑っていました。「いったいどうして私が『恵まれた』、また、『神から恵みを受けた』と言ったのでしょうか。」今日、マリヤが神様から受けた「恵み」とその結果を考えてみたいと思います。マリヤにとって、「神から恵みを受けた」ということは、どういう意味なのでしょうか。ある人は、「マリヤが何か称賛、特賞、または祝福を神様から受けたでしょう』と思うかも知れません。しかし、彼女は、すばらしい特権が与えられても、マリヤが受けた恵みは、特賞、祝福などのようなものではなかったでしょう。ガブリエルが現われて話しかけた時、マリヤに重要な使命が与えられました。この使命を果たすことによって、神様の偉大な目的が実現されます。マリヤに生まれる子は、全人類の歴史中の最もすぐれた王になり、とこしえにヤコブの家、すなわち、イスラエルの民族を治めるのです。そんなに偉くなる人を産んで、母親として彼を愛して、養うことは、マリヤに与えられる使命です。

ところが、その使命は、マリヤとヨセフに多くの困難や苦労をもたらすでしょう。聖書に記されたクリスマスの物語を考えてみれば、ある信者は、ベツレヘムの馬小屋の場面を覚えて、かわいい赤ちゃんが幸いにマリヤに産まれたということだけが思い付くかも知れません。しかし、もっと現実的に考えた方がいいと思います。御使いガブリエルが現われた時から、マリヤとヨセフはさまざまな難しい問題に会いました。実は、マリヤが受けた神様の恵みを理解するために、まず、どのような困難を耐えたか、またどのような妨げを乗り越えなければならなかったかを認めるべきだと思います。ですから、今日の聖書個所を見ながら、特にこの三つのことを考えてみてください。第一に、マリヤが「神様の恵みを受けた」というのは、いったいどういう意味なのでしょうか。神様の恵みの定義を考え出そうとしたいと思います。第二に、その恵みは、マリヤとヨセフにとって、なぜ必要なのかを考えて行きます。第三に、マリヤとヨセフは生まれる赤ちゃんによって、どのように恵まれたかを考えたいと思います。さて、ルカの記録した出来事を見てみましょう。    

II.神様の恵みによる希望、支え、と新しい人生

主の御使いは現われたとき、マリヤに「おめでとう、恵まれた方。」と言って挨拶しました。いったい何のめでたいことがあったのでしょうか。なぜ彼女は恵まれたのでしょうか。マリヤは全然分かりませんでした。それに、御使いはすぐ、「主があなたとともにおられます。」と言い加えたのです。それは、本当に神秘的な言葉でした。神様がマリヤととみにおられますと言われると、彼女はある程度励ましを受けたでしょうが、まだ、ひどく戸惑っていました。マリヤが戸惑っているのを見て、ガブリエルは、「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。」と言いました。そこまで、マリヤは、御使いの挨拶のことばにひどく戸惑ったと書いてありますが、その次のことばを聞くと、何と驚いたでしょう。31節で御使いは続いて言いました。「ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」ギリシャ語で読めば、マリヤの息子の誕生の預言は前のことばと密接につながっていることが分かります。「こわがることはない。マリヤ。あなたはは神から恵みを受けたのです」から、あなたはみごもって、男の子を産みます。」というような意味です。すなわち、マリヤは神様の恵みを受けたので、その子を産むわけです。それに、マリヤは、その不思議なことがこわがるべきと思ってはなりません。なぜなら、神様の恵みを受けたので、心配する必要はありません。聖書の歴史を振り向いてみれば、偉大な使命を全うするように召された者は、いつもはその使命を喜んで受諾したわけではありません。イスラエルの有名な指導者になったモーセでさえ、与えられた使命をまず否定しようとしました。神様がモーセの使命を説明された時、モーセは「ああ主よ。どうか、ほかの人を遣わしてください。」と願いました。預言者イザヤも、先に「ああ。私は、もうだめだ。」と思いました。エレミヤも、神様のお召に応じてこう答えました。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいか分かりません。」エレミヤに主はこう仰せられました。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。」(Jer. 1:6-8) 同じように、神様はマリヤにも約束されました。主の御使いが言ったように、「主があなたとともにおられます。」マリヤは、自分自身だけで何もできません。彼女はエレミヤのように若くて、そんなに偉大な使命を全うすることが出来ないと思ったでしょう。子どもを産んで、名づけて、「いと高き方の子」と呼ばれるほどに偉くなる王を育てることは、やはりこわがるはずです。しかし、御使いはマリヤに言いました。「こわがることはない。マリヤ。」神様の恵みを受けたし、神様があなたとともにおられます。大丈夫だよ。

マリヤは、神様の恵みによって、未来に関して希望が与えられました。しかし、マリヤはまだ分からないことが多くありました。「そこで、マリヤは御使いに言った。『どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。』27節に書いてあるように、マリヤは若い「処女」で、ヨセフという男の人のいいなずけでした。彼女はヨセフと婚約されたが、純潔な婚約者でしたので、ふたりはまだ何の性的関係もありませんでした。その時代の婚約期間は短くても1年間でしたが、数年間の場合もあったそうです。マリヤは、結婚しないかぎり、子どもを産むのはありえないことを知っていました。すなわち、結婚の関係以外に子どもを産むのは、神様が禁じられた不道徳な関係によらないことはありえないということを知っていました。ですから、「どうしてそのようなことになりえましょう。」と御使いに尋ねたのです。御使いの答えを聞くと、マリヤはだんだん分かるようになりました。彼女は男の人を知らないままで、肉体によらずに、聖霊の奇蹟的な力によって、彼女がみごもって、子どもを産むということです。だからこそ、その生まれた子は「神の子」と呼ばれるのです。ヨセフはこの子の肉体の父になりません。35節で御使いが言いました。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」そして37節で、「神にとって不可能なことは一つもありません。」と言いました。神様の恵みを受けたマリヤは、この説明を聞くと、提供された使命を受け入れました。もし神様のみこころであるのなら、彼女はすなおに従おうつもりです。だから、「マリヤは言った。『本当に、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』」

マリヤは、いったいどうしてこの不思議な知らせを聞いて信じたのでしょうか。なぜこわがらなかったのでしょうか。なぜ、すなおに受け入れたのでしょうか。それは、神様の恵みを受けたからではありませんか。マリヤは、神様の恵みを受けたので、信じることができました。神様の恵みによって、彼女はこわがらないように強められたでしょう。神様の恵みによって、マリヤは、心配の代わりに大きな希望を持って、主を信頼しながら、未来に向かって進歩しました。神様の恵みがなければ、マリヤは、御使いの知らせを信じなかったでしょう。それとも、神様のご計画に従う勇気と力が足りなかったでしょう。こういうわけで、その恵みは、神様のみこころを行なうための霊的な力ではないかと思います。神様の恵みによって、マリヤは、与えられた使命を受け入れました。ですから、マリヤに与えられた「恵み」という言葉に、みこころを行なうために神様が与えてくださる助け、または霊的な力という定義を与えたらふさわしいでしょう。

それに、考えて行きたい第二のことは、マリヤとヨセフにとって、なぜ神様の恵みが、なくてはならないものなのかということです。神様の恵みがマリヤに豊かに与えられたのは、彼女が人生の中で会うべき困難を耐えて、乗り越えるためだと思います。マリヤとヨセフは、マリヤが御使いの知らせを受け入れた時から、多くの難しい問題に会いました。最初の問題は、マリヤがみごもったということでしょう。この問題は特にマタイの福音書1:18-25で取り扱われます。「マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことが分かった。」ヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密にさらせようと決めた。」とマタイ伝1:18-19に書いてあります。そのように考えているヨセフに、御使いが夢の中に遣わされたのです。主の御使いがマリヤに与えられた知らせをヨセフにももたらしたのです。20節にこう書いてあります。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは、聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」この不思議な出来事は、昔に預言されたが、今マリヤをとおしてイザヤ書の預言が成就されます。「『見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」ヨセフはその夢の中で明らかにされたことを信じて、マリヤを妻として迎えました。それは、神様の特別の恵みによって、御使いが遣わされて、そのメッセージがヨセフに与えられたからです。神様の恵み、すなわち、その特別の助けによって、そのふたりの最初の問題が解決されたのです。

マリヤの妊娠の最初の三か月間は、マリヤにとっては、大変な時期だったでしょう。その間マリヤは妊娠の色々な症状で悩んでいたでしょうが、神様からの知らせを受けたので、急いでその親類のエリサベツの家に行って、そこに三か月ほど泊まりました。神様の恵みによって、エリサベツも神様の奇跡的な力によって身重になっていました。そして、マリヤはエリサベツの家に入るとすぐ、聖霊に満たされて、言いました。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私の所に来られるとは、何ということでしょう。」(Lu. 1:42-43) マリヤは、自分の妊娠の状態をだれにも伝えたことがなくても、神様の恵みによって、自分の町から遠く離れた親類エリサベツは先に知らせられたので、マリヤの秘密を知って、ありがたい励ましを与えることができました。自分がみごもっていることをヨセフにもまだ知らせなかったかも知れませんが、御使いの知らせを他の人と話し合うことが本当にありがたいことでしょう。神さんの特別の恵みによってその難しい時期を幸せのうちに過ごすことができました。

とうとう、マリヤは月が満ちて、子が近いうちに生まれるだろうと知っていました。しかし、マリヤとヨセフは他の人々と同じように、ローマ皇帝の勅令に従わなければいけません。子どもが近いうちに生まれると思っても、そのふたりはヨセフの住民登録をするべき町ベツレヘムへ出かけました。その百二十キロメートルぐらいの旅は、無事に歩いて行けば、六日間ほどかかるでしょうが、マリヤはゆっくりと進まなければなりませんでした。彼女はろばに乗って行ったか、ふたりとも歩いて行ったかが分かりません。マリヤはみごもっていなければ、その旅はそんなに難しくないでしょう。ところが、彼女は神様の使命を受け入れて、聖霊の力によって妊娠のなりました。神様の使命を全うするためにこの状態で、ベツレヘムに出かけなければなりませんでした。何日間かかったか書いてありませんが、ついに、神様の恵みによって無事にベツレヘムに着きました。でも、その行き先についても、またつまらない問題に会いました。その晩に泊まる所は見つかりませんでした。宿屋はみな満員でした。でもマリヤとヨセフは神様の使命を全うするために来たのではありませんか。いったいどうして、すべてはうまく行っていないのでしょうか。ついに、馬小屋の中に入り、そこに泊まりました。ちょうど、その夜、約束された赤ちゃんが生まれました。家族もいなく、付き添いさんもいませんでした。子どものころからなじんだ近所、家族、友達を遠く離れた所で、マリヤは、「男子の初子」を産みました。ヨセフ以外には、助けはなかったでしょう。しかし、神様は彼女とともにおられました。それで、生まれたばかりの赤ちゃんを「布にくるんで、飼い葉おけに寝かせた。」と書いてあります。神様の恵みを受けたマリヤは、神様の使命を果たすためにこの子をここまで胎の中で運んで来たでしょう。そして、神様の恵みによって、その子が無事に産まれました。神様の恵みを受けた人は、悩むことを知らないわけではありません。ただ、神様の恵みによって、どんなにつらい困難にあっても、がまん出来るようになり、いろいろな妨げを何とか乗り越えることも出来るのです。マリヤとヨセフは主の恵みによってそのような経験になりました。
最後に、マリヤとヨセフは、神様の恵みによって支えられ、色々な試練を通り抜けたり、さまざまな妨げを乗り越えたりして、神様の使命を果たすようになりました。第三に考えてみたいことは、マリヤとヨセフは、この子によってどのように恵まれたかということです。次の三つのことを心に留めてください。まず、マリヤが神さまの御使いの良きおとずれを聞いて、その使命を受け入れた時から、彼女とヨセフは神様のみことばの真実を試し始めました。神様が約束されたとおりになりました。神様が言われたことは、すべて実現されました。神様の約束は、一つも失敗することはありません。イエス様を守って、育てるという使命を受け入れた時から、神様のみことばを信頼し、それに従う幸せを経験しました。主は、みことば通りに祝福してくださいます、きっと。それに第二に、神様の教えに従って歩むのなら、その道が平らであっても、凸凹であっても、神様の恵みが必要に応じて与えられるということを確認しました。マリヤとヨセフは、その子どもを守って、養っている間、彼らは神様によって守られて、必要な物がいつもたっぷり備えられました。イエス様がその家族におられる間、どこへ行っても、神様は彼らとともにおられて、導いて、支えてくださいました。マリヤとヨセフは、信仰によって歩むという祝福を学びました。最後、第三に、その子をイエスと名づけたマリヤとヨセフは、この子がご自分の民をその罪からどのように救い出されるかを思っていたでしょう。しかし、それも神様の約束でした。ほかのすべての約束が守られたので、確かにこの罪の赦しと永遠の救いという約束も実現されると彼らが信じたでしょう。マリヤとヨセフは、イエス様がどのようにしてご自分の民をその罪から救ってくださるかを想像できなかったでしょう。マリヤは御使いガブリエルからこの子の誕生を聞いた時から、イエスによる救いは何であるかを経験するようになりました。ルカ伝2:19で言っているように、「マリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」三十年の間マリヤは、イエスから学びましたことを心に納めて、思いを巡らし続けたでしょう。主イエスの十字架の前に立っているマリヤも、昔に聞いたことを覚えて、その思いを巡らしていたでしょう。イエスによる贖いの御業を完全に理解できなくても、マリヤは神様が信用できる方ですので、神様が言われたとおりになることを信じました。最後までマリヤは主の恵みによって支えられ、希望が与えられ、守られました。

        
III. CONCLUSION

マリヤとヨセフが学んできたことを、私たちも心に納めた方がいいです。クリスマスの物語は神様の恵みによる新しい人生、新しい信仰による旅路の話です。マリヤとヨセフの場合は、その新しい人生が御使いガブリエルの現われから始まりました。皆さんは、どうでしょうか。神様の恵みをご存じですか。神様から恵みを受けたことがありますか。神様の恵みを受けたのなら、どのような使命があなたに与えられたも、どのような難しくてつらい目に会っても、主の恵みによって強められ、支えられて、結局、その目的を達することが出来るでしょう。神様の恵みを受けるとは、何とすばらしいことでしょう。クリスマスの季節に主の驚くべき恵みを覚えて、求めましょう。

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