この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。

“またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。
わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。
「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。
近所の人たちや、前に彼が物ごいをしていたのを見ていた人たちが言った。「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」
ほかの人は、「これはその人だ」と言い、またほかの人は、「そうではない。ただその人に似ているだけだ」と言った。当人は、「私がその人です」と言った。
そこで、彼らは言った。「それでは、あなたの目はどのようにしてあいたのですか。」
彼は答えた。「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と私に言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」”
ヨハネの福音書 9章1~11節

2024/8/22  1:31 初回

以下 2025/10/25

https://message-station.net/episode/11648/

↑上記からの引用↓

イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。

(1)イエスは、因果応報を否定された。

  ①人間が苦しみを経験する根本的な理由は、アダムの堕落にある。

    *人間は、原罪を持って生まれてくる(ロマ5:12)。

  ②この盲人のケースは、「特定の罪の結果としての罰」ではない。

    *それは、神の計画の一部としての苦しみである。

    *神は、この人が盲目で生まれることを許された。

    *神のわざがこの人に現れるためである。

(2)イエスは、新しい視点を提供された。

  ①この文脈での「神のわざ」とは何か。

    *肉体的な癒しによって神の力が示されること

    *霊的な目が開かれること(信仰に至ること)

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