問・人のおもな目的は何であるか。
答・人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、(1)永遠に神を喜ぶことである。(2)
((1)Ⅰコリント10:31・ローマ11:36)((2)詩篇73:25-28)
問・人のおもな目的は何であるか。
答・人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、(1)永遠に神を喜ぶことである。(2)
((1)Ⅰコリント10:31・ローマ11:36)((2)詩篇73:25-28)
問・私たちが、どうすれば神の栄光をあらわし、神を喜ぶことができるかを示すために、
神はどのような規準を与えられたか。
答・旧新両約の聖書にある神の言葉は、(1)私たちがどうすれば神の栄光をあらわし、神
を喜ぶことができるかを示すた(2)めの、ただ一つの規準である。
((1)Ⅱテモテ3:16・エペソ2:20)((2)Ⅰヨハネ1:3-4)
問・聖書はおもに何を教えているか
答・聖書は、おもに、人が神について信じなければならないことと、神が人に求められる義務は何であるかを教えている。(1)
((1)Ⅱテモテ1:13・Ⅱテモテ3:16)
問・神はどのような方であるか。
答・神は、その存在と(1)知恵、(2)力、(3)聖、(4)義、善、真実に(5)おいて無限、(6)永遠、(7)不変の(8)霊で(9)ある。
((1)出エジプト3:14)((2)詩篇147:5)((3)黙示4:8)((4)黙示15:4)
((5)出エジプト34:6)((6)ヨブ11:7-9)((7)詩篇90:2)((8)ヤコブ1:17)
((9)ヨハネ4:24)
問・創造のわざとは何であるか
答・創造のわざとは、神がその御力の言葉によって、六日のうちに無から万物をはなはだ良く造られたことである。(1)
((1)創世記1:1-31・ヘブル11:3)
問・神はどのように人を創造されたか。
答・神は、人を知識と義と聖において御自身のかたちに従い、全被造物を治める権を
もつものとして、男と女に創造された。(1)
((1)創世記1:26-28・コロサイ3:10・エペソ4:24)
問・神の摂理のわざとは何であるか。
答・神の摂理のわざとは、神の全被造物とそのすべての行動の、最もきよい、(1)賢い、(2)力強い保持と(3)統治で(4)ある。
((1)詩篇145:17)((2)詩篇104:24・イザヤ28:29)((3)ヘブル1:3)
(詩篇103:19・マタイ10:29-31)
問・私たちの始祖は創造された時の状態を続けたか。
答・私たちの始祖は、彼ら自身の意志の自由にまかされていたところ、神に対して罪を犯したため、創造された時の状態から堕落した。(1)
((1)創世記3:6-8,13)
問・罪とは何であるか。
答・罪とは、神の律法に少しでもかなわないこと、または、これを犯すことである。(1)
((1)Ⅰヨハネ3:4)
問・人が堕落した状態の悲惨とは何であるか。
答・全人類は、堕落によって神との交わりを失い、(1)神の怒りとのろいの下にあり、(2)また、そのためにこの世のあらゆる悲惨と、死そのものと、永遠の罰とをまぬがれないものとされている。(3)
((1)創世記3:8、10、24)((2)エペソ2:2、3・ガラテヤ3:10)
((3)哀歌3:39・ローマ6:23・マタイ25:41、46)
問・神は、全人類を罪と悲惨の状態のうちに滅びるままにしておかれたか。
答・神は、ただよしとされるままに、永遠からある人々を永遠の生命に選び、(1)あがない主によって彼らを罪と悲惨の状態から救い出し、(2)救いの状態にいれるために、恵みの契約を結ばれた。
((1)エペソ1:4)((2)ローマ3:20-22・ガラテヤ3:21-22)
問・神の選民のあがない主はだれであるか。
答・神の選民の唯一のあがない主は、主イエス・キリストである。
彼は神の永遠の御子でありながら、人となられた。
その時以来、永遠に神と人との二つの異なる性質をもち、
しかも、一つの人格であられる。
((1)Ⅰテモテ2:5-6)((2)ヨハネ1:14・ガラテヤ4:4)
(ローマ9:5・ルカ1:35・コロサイ2:9・ヘブル7:24-25)
問・キリストは、どのようにして神の子でありながら、
人となられたか。
答・神の子キリストは、聖霊の力によって処女マリヤの胎に宿り、
真実の身体と、理性的霊魂をとって人となり、
しかも、罪なくして彼女から生まれられた。
((1)ルカ1:27、31、35、42・ガラレヤ4:4)((2)ヘブル2:14
16・ヘブル10:5)((3)マタイ26:23)((4)ヘブル4:15・7:26)
問・キリストは、私たちのあがない主としてどのような職務を果されるか。
答・キリストは、私たちのあがない主として、その低い状態においても、高い状態にいても、ともに預言者と祭司と王の職務を果される。(1)
((1)使徒3:21・ヘブル12:25・参照Ⅱコリント13:3・ヘブル5:5
-7・7:25・詩篇2:6・イザヤ9:6-7・マタイ21:5・詩篇2:8-11)
問・キリストは、どのようにして預言者の職務を果されるか。
答・キリストは、御言葉と御霊により私たちの救いのために神のみこころを私たちに示すことによって、預言者の職務を果される。(1)
((1)ヨハネ1:18・Ⅰペテロ1:10-12・ヨハネ15:15・ヨハネ20:31)
問・キリストは、どのようにして祭司の職務を果されるか。
答・キリストは、神の義を満足させ、私たちを神に和解させるために、(1)御自分をいけにえとして一度献げることにより、(2)また、私たちのために絶えずとりなしをされることによって祭司の職務を果される。(3)
((1)ヘブル2:17)((2)ヘブル9:14,28)((3)ヘブル7:24、25)
問・キリストは、どのようにして王の職務を果されるか。
答・キリストは、私たちを御自身に従わせ、(1)私たちを治め、(2)守り、(3)また、彼と私たちのすべての敵を抑制し、征服することによって、(4)王の職務を果される。
((1)使徒15:14-16)((2)イザヤ33:22)((3)イザヤ32:1-2)
((4)Ⅰコリント15:25・詩篇110:1-7)
問・キリストの低い状態とは、どの点にあったか。
答・キリストの低い状態とは、彼が生まれられたこと、しかも、貧しいさまに生まれられたこと、(1)律法の下におかれ、(2)この世の悲惨と(3)神の怒りと(4)十字架ののろいの死と(5)を忍ばれたこと、葬られてしば(6)らくの間、死の力の下に、とどまられたことにあった。(7)
((1)ルカ2:7)((2)ガラテヤ4:4)((3)ヘブル12:2、3・イザヤ53:2)
((4)ルカ22:44・マタイ27:46)((5)ピリピ2:8)((6)Ⅰコリント15:3,4)
((7)使徒2:24-27、31)
問・キリストの高い状態とはどの点にあるか。
答・キリストの高い状態とは、彼が三日目に死人の中からよみがえられたこと、(1)天にの ぼられたこと、(2)父なる神の右に座しておられること、(3)また終りの日に世をさばくた めに来られることにある。(4)
((1)Ⅰコリント15:4)((2)マルコ16:19)((3)エペソ1:20)
((4)使徒1:11・使徒17:31)
問・私たちは、どのようにしてキリストの買い取られたあがないにあずかるものにされるのか。
答・私たちがキリストの買い取られたあがないにあずかるものにされるのは、彼の聖霊
によって、(1)私たちにそれが有効に適用されることによるのである。(2)
((1)テトス3:5、6)((2)ヨハネ1:11)
問・御霊はキリストの買い取られたあがないをどのようにして私たちに適用されるか。
答・御霊がキリストの買い取られたあがないを私たちに適用されるのは、有効召命において、私たちのうちに信仰を起し、(1)それによって私たちをキリストに結合されることによるのである。(2)
((1)エペソ1:13、14・ヨハネ6:37、39・エペソ2:8)
((2)エペソ3:17・Ⅰコリント1:9)
問・有効召命とは何であるか。
答・有効召命とは、神の御霊のわざであって、(1)それによって御霊は、私たちに自分の罪 と悲惨を自覚させ、(2)キリストを知ることにおいて私たちの心を照らし意志を(3)新たにし、福音に(4)おいて私たちに価なしに提供されているイエス・キリストを受け入れる ように説得し、また、受け入れることができるようにされる。(5)
((1)Ⅱテモテ1:9・Ⅱテサロニケ2:13-14)((2)使徒2:37)((3)使徒26:18) ((4)エゼキエル36:26)((5)ヨハネ6:44-45・ピリピ2:13)
問・義とすることとは何であるか。
答・義とすることとは、価なしに与えられる神の恵みの行為であって、神はそれによって私たちのすべての罪をゆるし、(1)私たちを神の前に義人として受け入れられる。(2)それは私たちに転嫁され、(3)また、ただ信仰によって受けるキリストの義によるのみである。(4)
((1)ローマ3:24-25・ローマ4:6-8)((2)Ⅱコリント5:19、21)
(ローマ5:17-19)(ガラテヤ2:16・ピリピ3:9)
問・子とすることとは何であるか。
答・子とすることとは、価なしに与えられる神の恵みの行為であって、(1)それによって私
たちは神の子の数に入れられ、またそのすべての特権にあずかる権利をもつのである。(2)
((1)Ⅰヨハネ3:1)((2)ヨハネ1:11、12・ローマ8:17)
問・聖とすることとは何であるか。
答・聖とすることとは、価なしに与えられる神の恵みのわざであって、(1)それによって私
たちは神のかたちに従って全人を新たにされ、(2)ますます罪に死んで義に生きることができるようにされる。(3)
((1)Ⅱテサロニケ2:13)((2)エペソ4:23)((3)ローマ6:4,6・ローマ8:1-4)
問・この世で義とすること、子とすること、聖とすることに伴い、あるいはそれから出てくる祝福は何であるか。
答・この世で義とすること、子とすること、聖とすることに伴い、あるいはそれから出てくる祝福は、神の愛の確信、良心の平和、(1)聖霊による喜び、(2)恵の増加、(3)そして、それらのうちにあって終わりまで堅く保たれることである。(4)
((1)ローマ5:1、2、5)((2)ローマ14:17)((3)箴言4:18)
((4)Ⅰヨハネ5:13・Ⅰペテロ1:5)
問・信者は死の時、どんな祝福をキリストから受けるか。
答・死の時、信者の霊魂は、全くきよくされ、(1)直ちに栄光に入り、(2)その身体は、なおキリストに結合されていて、(3)復活の時まで(4)墓の中に休む。(5)
((1)ヘブル12:23)((2)Ⅱコリント5:1,6,8・ピリピ1:23・ルカ23:43)
((3)Ⅰテサロニケ4:14)((4)ヨブ19:26)((5)イザヤ57:2)
問・信者は復活の時、キリストからどんな祝福を受けるか。
答・信者は復活の時、栄光あるものによみがえらせられ、(1)
さばきの日に、公に受け入れられ、無罪を宣言され、(2)
永遠に(3)全く神を喜ぶことにおいて、完全に祝福される。(4)
((1)Ⅰコリント15:43)((2)マタイ25:23・10:32)
((3)Ⅰテサロニケ4:17、18)((4)Ⅰヨハネ3:2・Ⅰコリント13:12)
問・神が人に求められる義務は何であるか。
答・神が人に求められる義務は、神の示されたみこころに服従することである。(1)
((1)ミカ6:8・Ⅰサムエル15:22)
問・十戒の要点は何であるか。
答・十戒の要点は、心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なる
私たちの神を愛すること、また、自分を愛するように私たちの隣り人を愛することである。(1)
((1)マタイ22:37-40)
問・十戒の序言は何であるか。
答・十戒の序言は「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷
の家から導き出した者である。」という言葉である。(1)
((1)出エジプト20:2)
問・十戒の序言は、私たちに何を教えるか。
答・十戒の序言は、私たちに、神は主であって、私たちの神であり、またあがない主であるから、
私たちはそのすべての戒めを守る義務のあることを教えている。
(ルカ1:74、75・Ⅰペテロ1:15-19)
問・第一戒は何を求めているか。
答・第一戒は、神が唯一のまことの神、また私たちの神であることを知り、認め、(1)それにふさわしく神を礼拝し、あがめることを求めている。(2)
((1)Ⅰ歴代28:9・申命記26:17)((2)マタイ4:10・詩篇29:2)
問・第四戒は何であるか。
答・第四戒は「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。」である。
((1)出エジプト20:8-11)
問・第四戒は何を求めているか。
答・第四戒は、神が御言葉のうちに定められたような、一定の時を、神にたいしてきよく守ること、明言すれば七日のうち、まる一日が御自身にたいするきよい安息日であることを求めている。(1)
((1)申命記5:12-14)
問・安息日はどのように聖別しなければならないか。
答・安息日には、ほかの日ならば正当であるこの世の業務や娯楽さえも、これをやめて、(1)この日をまる一日、きよく休み、(2)やむを得ない働き、または慈善の働きに用いられるほかは、(3)すべての時間を、公的なまた私的な神礼拝の行為に用いて、聖別しなければならない。(4)
((1)ネヘミヤ13:15-19・21-22)((2)出エジプト20:8、10 16:25-28)((3)マタイ12:1-31)
((4)ルカ4:16・使徒20:7・詩篇92:1―15・イザヤ66:23)
問・第五戒は何を求めているか。
答・第五戒は、上の人、(1)下の人、(2)あるいは対等の人として、(3)それぞれの地位と関係にある人々の名誉をたもち、義務を果すことを求めている。
((1)エペソ5:21)((2)Ⅰペテロ2:17)((3)ローマ12:10)
問・第八戒は何を禁じているか。
答・第八戒は、私たち自身、あるいは、隣人の富と生活状態を、不当に妨害し、または
そのおそれのあるすべてのことを禁じている。(1)
((1)箴言21:17・箴言23:20・箴言28:19・エペソ4:28)
問・第五の祈願において私たちは何を祈るのであるか。
答・第五の祈願である「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく我らの罪をもゆるし給え」(1)では、神がキリストのゆえに、私たちのすべての罪を自由にゆるして下さるように祈るのである。(2)そして私たちは恵みによって心から人々をゆるせるようにされているから、なおさらこのように祈ることを奨励されている。(3)
((1)マタイ6:12)((2)詩篇51:1、2、7,9・ダニエル9:17-19)
((3)ルカ11:4・マタイ18:35)
問・第六の祈願において私たちは何を祈るのであるか。
答・第六の祈願である「我らを試みに会わせず悪より救い出したまえ」(1)では、神が私
たちを罪への誘惑から守り、(2)あるいは誘惑される時にさえ、救い出して下さるよ
うに祈るのである。(3)
((1)マタイ6:13)((2)マタイ26:41)((3)Ⅱコリント12:7-8)
問・主の祈りの結びの言葉は私たちに何を教えるか。
答・主の祈りの結びの言葉である「国と力と栄えとは限りなく、なんじのものなればなり。アーメン」(1)では、私たちの祈りの励ましをただ神から受けるのであり、(2)この祈りにおいて神を賛美し、神に国と力と栄えとを帰さなければならないことを教える(3)。そして私たちの願いの証明と、聞かれることの確信とにおいて、私たちはアーメンというのである。(4)
((1)マタイ6:13)((2)ダニエル9:4、7-9,16-19)
((3)Ⅰ歴代29:10―13)((4)Ⅰコリント14:16・黙示22:20-21)